如何なる花の色の下に
 

「神子様、今年もたいそうな人出でございますね」
「本当だね、銀」
 所沢のグッ○ウィルドームで開催されている、「国際バラとガーデニ○グショウ」。香りあふれる多数の美しいバラの展示と、センスよいさまざまなガーデンスタイルを見せてくれるのが毎年大人気のイベントである。今年ですでに9回目、昨年もたいそうな混みようだったが今年も同様ににぎわっている。ふだんは野球に使用されているグラウンドいっぱいに並んだ展示ブースはどこをとっても人、人、人……。今、望美たちは、ずらりと並べられた満開のバラの鉢植えを眺めながらそぞろ歩いていた。
「さすが『バライベントのコミケ』って言われてるだけあるなあ〜」
「『こみけ』とはいったい何だ、神子殿」
 わかっていたはずなのに、それでも人の多さに唖然として思わずつぶやいた望美の言葉を、隣を行く泰衡が耳さとく聞きつけて尋ねた。
「え? えっとねー、それは」
 コミケのことをどのように説明すべきか、そもそも話すべきかどうか望美はあせった。うっかり「コミケ」と口に出してしまったものの、同人趣味のことは周囲には秘密なのだ。言葉に詰まる望美にいぶかしげな顔を向けた泰衡に、代わって銀がなめらかな口ぶりで答えた。
「泰衡様、『こみけ』とは、『あにめ』や『げーむ』などの作品を愛し、志を同じくする方々が、それぞれの作品や登場人物などへの思いを書き綴った絵草紙や書物を作り、交流会場で売る催しだそうでございます。年に2回、夏と冬に開かれ、それはすごい人出だか。そうそう、神子様もよく足を運ばれ……」
「銀!」
 望美は銀の言葉をあわててさえぎった。思わず声をひそめて尋ねる。
「な、なんで知ってるの? 私が……」
 銀はにこりと微笑んだ。
「神子様のことで私が知らないことはございませんよ……と申し上げましたら、神子様はどうなさいますか?」
「し、銀!」
 涼しい顔の銀と、口をぱくぱくさせ、赤くなったり青くなったりしている望美を横目で見やり泰衡が不機嫌そうな声を出す。
「ふたりとも何をごちゃごちゃ言っている。『こみけ』が人出の多い催しだということはよくわかった。それより神子殿、あなたの誘いに応じてこうしてやってはきたが、こうまで人の多いところにわざわざ花を見に来ることにどんな意味があると? 花よりも人の方が多いのではないか」
 周囲は花だらけだが、同時に人だらけでもある。泰衡は人ごみが好きではなかったし、ざわざわした雰囲気も好みではなかった。自然、顔も険しくなろうというもの……。この会場に現在何万人の人間がいるのか知らないが、こんなにむっすりした顔をしているのはきっと彼ひとりに違いない。
 だがすれ違う人々、特に女性たちがちらちらと彼らに視線を向けるのは決して泰衡の額のしわのせいではないだろう。背が高く、すらりとひきしまった体つきの青年たち。銀はやさしく甘い風貌の貴公子の風情、泰衡は表情こそ厳しいものの、どこかの俳優にも負けぬほどのクールで端整な顔立ちをしている。それに生まれのせいか、ふたりとも自然と品がにじみ出ていて、かもし出す雰囲気がふつうの男性とはどことなく違うのだ。
 ついでに言えば、そんな彼らを両脇に連れ歩く望美にもうらやましいやら嫉妬まじりやらの視線が向けられているのだが、それに気づかない鈍感さは、きっと望美のいいところ……なのだろう。
「あっ、それはね泰衡さん、きれいなお花を見るのが楽しいからだよ! こんなにたくさんバラが咲いているところは近くにはないもの。めずらしいバラもいっぱいあるし」
 3人はちょうど、ハンサムなフランス人のフローリストがお洒落なフラワーアレンジメントを作っているブースの前を通りがかったところだった。フローリストの生パフォーマンスを一目見ようとする客ですごい人だかりだったが、望美たちがそばを通るとアーティストのデモンストレーションもそっちのけ、女性の目は彼らに向けて動いてしまう。もっとも女性たちの視線に気づくのは銀ひとりだけ。それに気づいたとてどうというわけでもない。何せ彼は、かつて宮中の女性たちから百花の王、牡丹にたとえられたこともある青年である。視線を向けられるのには慣れきっている。女性の視線というのは、彼にとってはまとう衣と同じようなものなのだった。
 そのまま3人は近くのデザイナーズガーデンの前まで歩いていった。フランスの小さなシャトーの庭をイメージした、色とりどりの草木で飾られた端整な庭の周りでは人々がデジタルカメラや携帯電話で盛大に写真を撮っている。バラの甘くさわやかな香りに鼻をくすぐられながら、望美も負けずに庭に携帯を向けた。
「わざわざ花を見に出かけてくるのもいいでしょう? 家で難しい本を読んでるのも悪くないけど。こっちの世界にいる間は、国を治める苦労は忘れてのんびりしたら。あっちにいた時だって、お花見には行ったじゃない」
「神子殿……」
 むすっとした顔で何か言い返そうとした泰衡に、銀はやわらかく告げた。
「泰衡様、薔薇は当代の人々がたいそう好む花のひとつとか。なるほどかたちも色も多種多様で目に快く、香りもすばらしいものも多うございます。泰衡様もひととき花を愛でられ、お心を安らげられてはいかがでしょうか」
 だがそれに答えるが泰衡の声には幾分の冷ややかさがあった。
「薔薇……か。ずいぶんと派手な花だ。確かに美しいかもしれないが、あまりにも技巧的だな。花は野にあり、あるがままに咲いてこそ好ましいものと思うが?」
「大昔からこの国に自生している薔薇の原種はもっと素朴だと聞き及びます。それが多くの品種改良を経て、こうした華麗さを持つに至ったとか……」
 銀は周囲を見回した。赤やピンク、白、黄色、紫と目に映る花々の色彩は限りなく華やかである。
「泰衡様のおっしゃるとおり、花は日を浴び風に吹かれ、自然のままにある姿こそ本来のありよう。愛らしくもけなげに生きる姿は、素直ないのちの輝きを我々に教えてくれましょう。
 けれど惜しみなく人の手をかけられ、多くの愛を注がれて花開くいのちもまた、その愛しさ美しさには変わりないかと……。大切にいつくしんで育てられた姫君が晴れの日を迎え、高貴なかんばせにうるわしい笑みを浮かべるにも似て……ならば人がその笑みに魅了されたとて、何の不思議がございましょうか」
「ふむ」
「手をかけ、心を尽くし、幼い蕾が少しずつ育っていくのを見守るのもまた、そばにある者にとっては大きな楽しみ……ひどく根気が必要とはなりますが」
 穏やかな表情で銀は望美を見やり、望美は目をぱちくりさせた。確かに銀の言うとおり、バラがこうしてまさに最高の姿を見せている裏には人々の尽くせぬ努力があるのだとあらためて考えさせられる。望美は新たな感動を覚えてあたりの花々を見渡した。
「私とてむろん、そのように願いますのは強く心惹かれた花に対してのみでございますけれど」
「面倒だな。俺には向かん」
「そんなことはございませんよ、泰衡様。国をいつくしむ術(すべ)を知っておられる方が何をおっしゃいます」
 今度は泰衡が望美をちらりと見、何ともいえぬ顔になった。銀は微笑を浮かべたままだ。会話の方向性が見えず、望美は少しだけ眉を寄せた。何だかいつの間にか論点がずれているような気がしないでもないのだが……。泰衡がにこりともせずに言った。
「神子殿はそのままでかまわんからな」
「は?」
 望美はますますわけがわからなくなった。
「手をかけても大して変わる花とも思えん」
「泰衡さん!」
 言っている意味がよくわからなくても、ほめているわけではないらしいというのはわかる。
「過分に手などかけずとも……あなたはそのままがよろしかろう」
 そっけないほどの口調で言うと、背を向けてすたすたと歩き出す。わけがわからずあっけにとられている望美に、泰衡は振り向くと仏頂面で言った。
「来ないのか」
「へ?」
「薔薇の回廊を通ってみたいと、先ほどあなたが言っていたと記憶していたが」
 数え切れないほどの色とりどりのバラの花で構成されたアーチ型の通路、頭上からも多くのつるバラが咲き下がり、豪奢な花のトンネルを作り出している。今日のイベントの目玉のひとつ、望美はぜひ中を歩きたいと思ったものの、人出の多さにあとにしようと言っていたのだ。
 ここから遠目に見れば、多少なりとも人混みが少なくなったようにも思える。今日ずっとむすっとしていた泰衡が聞いていないようでちゃんと聞いていてくれていたのだと知って、望美はうれしくなった。
「行きたい、行きます!」
 あわてたように言う望美に、くすくすと笑いながら銀が提案した。
「神子様、あちらはいっそう人出が多うございます。はぐれぬよう泰衡にお手を取っていただいては?」
「馬鹿な。子どもでもあるまいし」 
 泰衡が反論する。
「では神子様、私がお手をお取りいたしましょうか?」
「銀、戯言もたいがいにしろ。神子殿はひとりで歩ける。だが神子殿、俺と銀から決して離れぬようにな。もしひとりでどこかへ飛んで行ったら置いて帰る。あとで文句は聞かん」
 望美をひとりで置いて帰るなど、銀がいる以上ありえないのだが……。それでも無邪気な顔で望美が言った。
「うん、わかったよ。じゃあ離れないように泰衡さんの袖をつかんでてもいい? 念のため」
「な」
 予想外の問いに泰衡が絶句した。それでも少しの沈黙のあと、
「……かまわん」
と答える。わーい、と望美は泰衡のペールブルーのシャツのひじの下あたりの布をつかんだ。泰衡の額のしわがますます深くなる。
 銀はやれやれと笑みをもらした。腕を取るわけでもなく、手をつなぐわけでもなく、けれどそばを離れない。これが今の彼女と主の距離の取り方なのだと思うと微笑ましいやら、おかしいやら。
「あとでマーケットでお買い物もしたいな。バラの苗を買ってきてって譲くんに頼まれてるし、ローズウォーターもほしいの。ふたりとも付き合ってね」
「神子様のお心のままに」
「……」
 泰衡がため息をつき、疲れたように額に手をやる。
「ローズウォーターでしたら、あちらによさそうなお店がございましたよ。あとで寄りましょう。神子様のお好きそうなかわいらしい小物も取り扱っておりました」
「本当はおしゃれなカフェとかもあったらうれしいんだけどなあ。ローズティー飲ませてくれたりね」
 歩き疲れた客はグラウンドから野球場の観客席に上がって休むのである。十分な席があるのはよいのだが、ちょっとお菓子やお茶を飲みたいと思っても、缶ジュースというのは少々味気ない。
「こちらの展示にはそういったものはないのでございますね……。帰りましたら私が神子様に薔薇の花のお茶をお淹れいたしましょう。泰衡様は……」
「俺は甘ったるい花の風味の茶などは好まんぞ」
「心得ております。では紅茶を。甘みがあまり強くならない程度に蜜など少しお入れいたしましょうか。めずらしいものを手に入れましたので」
「あれ、いつの間に買ったの」
 銀は手元の紙袋を示してにっこりした。
「先ほどふと見かけまして。花ごとに蜜の種類もいろいろと分かれているのですね。あれほどあるとはついぞ存じませんでした。今日の記念に薔薇の蜜と、それから……」
「山桜の蜂蜜? 初めて見たよ」
「ええ、私もです。束稲山の桜を思い出しつつ飲むのも楽しいと思いまして」
 買うときに蜜の味見をしたのだが、山桜の蜂蜜の上品だが奥深い味わいは彼の好みにとても合っていた。それに今年の束稲山の花見の思い出もまだ3人の記憶には新しい。うららかな天気の下、春の盛りを満喫した楽しい1日だった。
「薔薇に桜……いずれも劣らぬ美しさ、か」
「はい。蜜もそれぞれ美味かと。けれどもっとも美しき花がいずこにあるかは泰衡様もご存知のとおり」
「さて。花か蕾か、はたまた棘か、はかりかねる部分も多いが……」
「そのようにおっしゃられていますと、知らぬうちに手元からさらわれておしまいになりますよ。お気をつけください。花盗人は罪にはならぬと昔から申します……」
 銀の真剣なまなざしに泰衡が目を細める。主従はほんの少しの間、複雑な視線を交し合った。そこに流れたものはいったい何だったのか……。だがその沈黙を破ったのは望美の声だった。
「もう、ふたりとも。まじめな顔で見詰め合っちゃってどうしたの?」
 泰衡を見上げてシャツを引っ張る。泰衡と銀はそろって彼女の方を向いた。似たような微苦笑が青年たちの頬に刻まれる。
「ああ、すまん」
「申し訳ありません、神子様」
「あ、別にいいんだけど」
ふたりから素直にあやまられ、望美は横に手を振った。泰衡がさくっとあやまるなんて、めずらしいなあと思ったというのもある。
「さあ、まいりましょうか、神子様」
「そうだな。広い会場だ、あなたの気が済むまで見て回るがいい……」
「うん!」
 うれしげな顔の望美がシャツの袖をつかんで歩き出す。わずかそのあとをついていくかたちになりながら、泰衡がつぶやいた。
「銀。おまえの言葉……胸に刻むとしよう。花盗人は思いがけず近くにいるやもしれぬ……か」
「は」
 銀がごく軽く頭を下げる。
「わあ、本当にきれいなアーチ! バラの花でいっぱいだよ……」
ふたりの会話に気づかぬまま、望美がうれしげな声を出した。ふたりの青年と共に歩いて行く少女は、今は彼らの想いを計ることもなく、目の前のバラに夢中なのであった。



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