ぬばたまの夜に抱かれて 3
「……両荘園の境界に関しては、従前のとおりを守ること」
泰衡が口述する内容を銀はさらさらと紙に書き取った。見事な手蹟である。終わると読み上げて内容を確認した。
「これでよろしゅうございますか」
泰衡がうなずき、銀は書状を巻いて筒に収めた。
「では明日、これを高鞍庄(たかくらのしょう)に届ける手配をいたします。泰衡様、他にお申し付けはございませんか」
もう夜も更けていた。常より多かった今日の政務もこれで最後である。
「いや、ない」
「では、お休みの用意を」
「……が、少々尋ねたいことがある」
文箱を片付けていた銀は手を止めた。
「何でございましょう」
「加奈の味はどうだった。ずいぶんと楽しんだようではないか」
口の端をにやりと上げる泰衡に、銀はためらいつつも答えた。
「……深く広い海に包まれるようにて、あれもまた極楽かと」
「また抱きたいか」
「私は……泰衡様のお考えに従うのみです」
そうして紫煙の瞳をつつましく伏せる。その様には不思議な透明感があった。それを一瞥し泰衡は命じた。
「脱げ」
銀は驚いて顔を上げた。
「聞こえなかったか。衣を脱げと言っている」
「は……い」
逡巡はしたものの、彼は立ち上がり衣に手をかけた。燈台に揺れる明かりと夜気に肌をさらし、着衣を取り去っていく。やがて現れた裸身を泰衡は品定めするように眺めた。
武に長けた者らしくひきしまった筋肉のついた体、ところどころに残る傷跡は戦さで負ったものに違いない。それでもすらりとした身体の線は文句なしに美しかった。しかし泰衡の目に入った、背に刻まれたくっきりとした赤い筋と三日月の爪跡。
(加奈の奴)
女の爪がそれを刻んだ時の痴態が思い浮かぶ。虫も殺さぬ顔をしながら、この男は閨でどれほどの女たちを悶えさせてきたものか……。
泰衡は銀の肩から胸に手をすべらせた。胸の先を撫で、加奈は男のここを舐めるのが上手かったなと思い出す。銀の口から吐息がこぼれた。
「は………」
泰衡は銀のあごをつかんで唇を重ねた。逆らうそぶりはない。口内を存分に蹂躙してから彼は唇を離した。銀が大きく息をつく。
「……ふっ……う……」
「ほう……ずいぶんと慣れているようだな?」
「私には……わかりません」
「そうだな、おまえには記憶がないのだからな。それでも体は忘れてはいないようだ。昨日もたっぷりと加奈を歓ばせてやったのだろう? ならば俺も楽しませてもらおうか」
銀の肩を下に押しやり、自分の前にひざまずかせた。
「仕えろ」
意味がわかるかと思ったのも一瞬、
「……は。かしこまりました」
銀は泰衡の衣の前をくつろげると、迷うことなく泰衡のものに奉仕を始めた。その所作はずいぶんと手慣れている風情だったが、これは昨夜、加奈に仕込まれたというわけではないだろう。
「んっ……ふぅっ……」
濡れた音と銀の低いうめき。銀は泰衡を喉の奥まで受け入れ、舌を這わせて歓びを与え続けている。女の唇がするのと同じように、いや男だからこそ同性の快楽の在りかをさらに的確に探り当て、突いてくる。思ってもみなかったほどの快感がこみあげていた。無心に行為を続ける銀の脳裏に、昨日自分が女にされていたことが蘇っていたかのどうか……。そのまま口内に放ってもよかったが、泰衡は銀の頭を抑えて愛撫を止めさせた。
「横になれ」
命じると銀は従順に仰向けになった。板張りの床をいやがるふうもない。銀は何も身に着けていないが、泰衡はほとんど着衣のままだ。それもまた命ずる者と仕える者の象徴のようでもある。泰衡のものを咥えているだけで感じたのか、銀の雄もすでに熱を帯びているのを知り泰衡は薄く笑った。
彼は脇の燈台の油をひとすくい指に取った。銀の後庭に塗り込めると吐息がもれ、その指の動きだけで快感を得ていると知れる。銀はこちらの方も十分に開発されているらしい。体を開かせ、泰衡は屹立した自身を押し入れた。油のぬめりに助けられて、ぐぷりと中に入り込む。銀が背筋をのけぞらせ、叫びとも喘ぎともつかぬ声を上げた。
「あぅっ……!」
そのまま奥へと突き入れたが、中は侵入を拒むかのようにまだ硬い。加奈は、銀は女を久しく抱いていない様子だと言っていたが、男に抱かれる機会もなかったのだろう。締め付けのきつさに泰衡は眉をしかめた。
「きつすぎる。力を抜け」
そう言えば素直に体の力を抜く。初めてでは身体はただこわばって、なかなかそうもいかないものだろうが、この反応もまた銀がこうした睦み合いに慣れているのだろうと確信させた。泰衡はさらに深く体を押し進めた。
「ああっ……」
助けを求めるように伸ばされた手を床に押さえつけ、抽送を繰り返す。絞り込まれるような快楽を泰衡は歯を噛み締めてやりすごした。目を閉じている銀の喉からかすれた喘ぎが漏れた。そのまま行けば遠からず銀が達するとわかっていたが、泰衡はかまうことなく引き抜いた。
「這え。腰を高く上げろ」
のろのろと起き上がった銀は命令のまま床に手と膝をつく。突き出された尻を2、3度音をたてて叩いてから泰衡は再び欲望をねじこんだ。銀がたまらず声を上げ、その内部は待ちわびていたかのように再び彼を深く呑み込んだ。
加奈が銀の背につけた筋が目に入る。泰衡はさらに昂ぶるのを感じた。いずれは加奈と3人で楽しむのもいいだろう。だがそれまでにこの体をよく慣らしておかねばなるまい……。
「ああっ……!」
銀の表情は散った髪に隠れて見えないが、あがくようにこぶしをにぎりしめている。だが感じているのが苦痛ではないことは、声に含まれる艶からも明らかだ。泰衡は無言のまま組み敷いた体を揺さぶった。繋がった場所から鮮烈な快感が走り抜ける。
血色が上った銀の体は美しかった。成人した男でありながら肌はなめらかで、どこか少年じみた印象がある。手触りがふよふよと頼りなく脂粉くさい女を抱くよりずっといいと思った。
それにしても、女にも男にも慣れたこの男はいったい何者なのだろう。色を売る生業(なりわい)にでも就いていたのかと思い、だが彼はすぐその考えを振り払った。銀は従順ではあるが卑屈ではない。媚を売る者にはありえない生来の気品。この男は間違いなく上流の生まれだ。文武にすぐれ、艶事にも通じ、ただ……記憶だけが欠落している。
そして今の時代、こうした嗜みを身につけている者と言えばおのずと範囲は限定されてくる。 銀の素性はおそらく――――
「泰衡さ……まっ」
銀の息が荒い。もっと責め立てることもできるが、今夜はこのぐらいでよいだろう……。数度強く突き上げてやると、銀が体をふるわせて絶頂を迎えた。その締め付けに合わせるように泰衡も自身の欲望を吐き出す。
やがて息を鎮めた泰衡は身を起こし、まだぐったりと床に倒れ込んでいる青年の髪をつかんで顔を上げさせた。疲れをにじませた頬に、乱れた銀糸が散る様がなまめかしかった。
「清めろ」
抗うことなく、銀は泰衡の脚の付け根に頭を伏せた。油と白濁がまじったものをていねいに舌で舐めきり、泰衡のものを衣のうちにおさめさせる。そのあと銀が自らの身支度を整えていくのを泰衡は醒めた目で見守った。彼は低く告げた。
「俺が呼んだら寝所に来い。それから先日の言葉は取り消す。俺の許しなく勝手に誰かと寝ることは許さん。男も女もだ」
「かしこまりました」
「加奈についても同じと心得ろ」
「はい」
一度は「おまえの好きにすればいい」と言った話、残念そうな視線のひとつも向けてくるかと思ったが、そのようなものは毛筋ほどもうかがえなかった。
「わかったら下がれ」
用済みの者を追い払う邪険な言いざまにも、銀は無表情に頭を下げる。うれしげでも不満げでもない、ただ泰衡の命であればあるがままに受け入れる、それが銀なのだった。彼自身の望みや意志など、その前にはまったく意味を成さないもののように……。だが、室を出て行こうとした銀がふと振り返った。
「泰衡様」
「何だ」
「私はこれからもずっと、泰衡様にお仕えしてよいと、そう……思っていてもよろしいのでしょうか」
予想もしなかった質問に、返答まで数瞬の間が空いた。泰衡はいらただしげな顔できつい言葉を投げた。
「……俺が必要とする限りはな。おまえごときをそばに置いてやるのをありがたく思って、ひたすら俺に尽くすことだ。おまえにはその程度しかできることはないのだからな」
「はい、よく心得ております。泰衡様のご恩に報いるために、これからも精一杯お仕えしていく所存です。……それでは失礼いたします、泰衡様。お休みなさいませ」
その口調にいつにない何かを感じ取り、泰衡は眉根を寄せた。だがその疑問を解くことなく足音は遠ざかり、やがて消えた。
静粛が戻った室内で泰衡は深く息を吐いた。銀にふいをつかれた腹立たしさは、やってきた時と同様、彼の中からすばやく去っていた。先刻の欲情も消えている。しかし熾火のように内に沈むそれを満たそうとすれば、いつでも可能だ。あの男はひたすら泰衡に従うのだから。
自分の意志をどこかに忘れた人形。泰衡が開けと命じれば身体を開く。目の前で女を抱けと言えば言われたままに抱くだろう。死ねと命じてさえ、そのとおりにするかもしれない。加虐的な想像は泰衡に陰惨な感興をもたらした。
……この国の情勢が彼の予想どおりに動くなら、遠からず彼は自身の計画を実行に移すこととなる。奥州のため、秘した願いのため、彼には為さねばならないことがあった。そのためにこれまで周到な準備をめぐらしてきたのだ。無条件に彼の命を果たそうとする銀の存在は、計画の実現にずいぶんと役立つに違いなかった。
ふいに泰衡は目を細めた。先ほどの銀の口調に含まれていたものに思い当たったからだ。
あれは、満足――――僕であり続けることを主から肯定された充足感。泰衡に仕えていたいという願いを認められた喜びの感情だ。泰衡は思いもかけぬ場所でめずらしい石を見つけた童のような驚きを感じた。
(人形にも欲はあったということか)
いかに彼が銀をさげすみ扱おうと、銀にとって泰衡への従属は単なる肉体の反応である情欲などよりよほど強く、重大なものらしい。泰衡から生きる場を与えられた男(もの)にとって、主への忠節は自身の存在の証。主の命令こそが失った魂の代わり……。記憶を失う以前にどのような名であり立場だったとしても、今の銀にはどこまでも泰衡の僕たる己しかないのだと、主たる男はあらためて知った。銀の肉体も心も、未来もさえも、そのすべては彼の手中にあった。
(……ふ)
彼は声なく笑った。整った顔立ちであるだけに、冷たい微笑はいっそう酷薄なものに見えた。
銀が泰衡の僕であることを願うなら、泰衡もまた主としてあの男を骨まで使い尽くしてやろう。従順な道具としてのありようを全うし、時には主を興じさせる。それが銀の役目だ。これまでも、これからも。
(いつまでも人形でいろ、俺だけのな。そして……決して俺を裏切るな、銀―――――)
夜明けまではまだ遠く、そして泰衡は星無き空よりさらに暗い想念をその瞳に映して、いつまでも闇の奥を見つめ続けていた。