ぬばたまの夜に抱かれて 2
「俺の許しがないと女の誘いは受けんと、おまえはそう言ったそうだな」
「は、それは」
夕刻、執務が一段落したところで突然泰衡が尋ねた内容に、銀はすぐには返事をしかねた。室には他には誰もいない。
「おまえなら言い寄る女も多かろう。いくらでも好きにすればいいものを……。だがそうまで言ったおまえの忠節に今宵、褒美をくれてやる。楽しむがいい」
「泰衡様」
驚きと大きな困惑。予想どおりの反応を楽しみながら泰衡は続けた。
「拒むことは許さんぞ。これは命令だ」
言葉を失っていた銀だったが、やがて頭を下げた。
「……泰衡様の仰せであれば」
「あとで使いをやる。下がって待っていろ」
泰衡が銀のために用意したのは、かつて泰衡の母の侍女をしていたこともある加奈という女だ。嫁ぐため伽羅御所を下がったが、数年後、子もないまま夫と死別し生家に戻った。その後は再嫁もせず実家で暮らしているが、当主である兄の妻の体が弱いこともあって、家の切り盛り役として重宝されているらしい。
深い雪を思わせる肌には艶があり、ふっくらした唇が艶かしく、どこかしら垢抜けている。豪族をもてなす際に女を供することはよくあるが、生娘を望む男もいれば、技巧に長けた女を好む者もいる。加奈は後者だった。これは加奈の家の主のみ知っていることだが、加奈はこれまで泰衡の命に応じ、何度も賓客の夜の接待を勤めていた。
それに加奈のよいところは男に媚びず、過ぎた寵愛を求めようとしないところだ。泰衡も加奈と同衾したことがあるが、奥州でもっとも権力を持つ男のひとりである泰衡にすら、とりたてて物も金もねだるでもない。他に通ってくる男もいるようだが、束縛されるのが嫌いなのか、誰かひとりの思い者になるのは拒んでいるらしい。もっとも寵愛に馴れてべたべたするような女だったら、いくら美しく練れた肉体を持っていようと、泰衡は早々に手を切っていたに違いなかった。
銀も男だ。しかも美形である。以前どのような生活をしていたにせよ、女たちが放っては置かなかったと思うが、今の銀にはそうした前歴をうかがわせるものはまったくない。だが銀がどのような男であろうと、加奈ならうまく扱えるはずだ。
常に清涼な風をまとっているような銀が、閨で女にどのように接するものか。まさか役立たずということはないだろうが……。
それに銀の記憶は本当に失われたままなのか……。閨でほろりと本音をもらす男はいくらでもいる。加奈は男の話を聞きだすのがうまい。これまでどれほど泰衡の、引いては奥州のために役立つ情報を寝物語に掴んだことか。
いずれは銀の素性をつきとめる時が来るだろう。あせらずともよい。だが、いつかは……。
夕刻に来た使いは銀に、賓客の接待に使われることもある、所の離れのひとつに向かうよう告げた。
彼がそこに着いた時、中にはまだ誰もいなかった。軽い酒食の用意がしてあったが、銀はそれらに手をつけることなく姿勢を正してじっと待った。やがて宵闇がさらに色を増したころ。
……さらりと絹ずれの音。
(……の君)
あえかな星の光を背に入ってきた女に、一瞬知るはずのない言葉が浮かび、だがそれはすぐに彼の脳裏からかき消えた。
「お待たせいたしました、銀様」
「あなたは……」
「加奈とお呼びくださいませ」
指をそろえて礼をし、顔を上げた女は美しかった。挙措には成熟した優雅さを備え、どこかの富裕な貴族の若女房といった趣である。だが彼の傍らに寄り添い、瓶子を取り上げてすすめる様は手馴れている。加奈に持たされた杯をじっと見つめたままの銀に彼女が訊いた。
「御酒はお嫌いですの?」
「いえ、そうではありませんが」
覚えている限り、彼は酒を口にしたことはなかった。
「氷室醸しの上物でございます。どうぞお召し上がりくださいませ」
加奈がそっと手を添えて口元まで運んでくれる。こくりと飲み干し、空になった杯に女が再び酒を満たした。
「さあ、もっと」
言われるままに銀は干した。胃の腑がじんわり熱くなる感覚は悪いものではないと思った。
「私にも頂戴できますかしら」
渡した杯に銀が酒を注ぎ入れる時、杯が揺れて加奈の指を濡らした。
「申し訳ありません」
「いいえ」
拭こうとする銀を制し、加奈は酒の流れた指を舐めた。指先から手のひらへと舌を這わせながらも視線は彼から離さない。銀の目の前で紅い舌が踊り、それに目を捕らわれているとその紅いものが一気に彼に近づいた。重ねられた唇を銀は拒みはしなかった。唇を離した加奈は、笑みを浮かべて彼を見上げた。
「銀様は、もしや女性はお嫌いかもという噂までございましたけれど……」
「嫌いではない……と思います。あなたは美しく、親切です」
「ありがとうございます」
どこか笑いを含ませて加奈が礼を述べる。彼女は銀の手の甲を指先でそっと撫でながら尋ねた。
「銀様は、泰衡様のお許しがないと、こうしてご一緒することもできないのですって?」
銀はうなずいた。
「お聞き及びでしょうが、私にはこの地に来る前の記憶がありません。今の私はただ、私を拾い上げてくださった泰衡様のもの……。ですから何事を為すにも泰衡様のお許しをいただかなければならないのです」
「まあ、泰衡様が妬ましい。あなたを独り占めしておられるなんて。でも今夜はお許しがあるのですもの、思い切り楽しまれるとよろしいわ」
「ええ、そのつもりです。泰衡様のご命令ですから」
邪気のない言い様に加奈は笑った。
「素直な方。でもそれでよろしいの。平泉中の女たちの目を奪っている銀様と過ごせるなんて、私も幸運な女……。ね、また口を吸ってくださる?」
乞われるまま、銀は彼女の唇に己の唇を重ねた。加奈は腕を彼の首筋に絡めて自ら唇を開き、相手を誘う。女が口内で甘く遊ばせる舌に銀は自分の舌を絡ませた。唇と舌で探り合い快感を与え合う。ひとしきり堪能すると、加奈はほうと息をついた。
「とてもお上手……。いったいどこでこんなやり方を覚えていらしたの? 都かしら?」
「……私は」
自身でもわからない。ただ自然に応えただけだ。
「いいえ、思い出さずともよろしくてよ。今宵はただの男と女、存分に楽しみましょう」
言いながら彼の手を取り、衣の上から自分の胸に当てさせる。量感のあるふくらみは銀の手にはおさまりきらないくらいだ。だが、じっと手を当てたままの銀に加奈は上から自分の手を重ねて導くように動かした。
「ほら……こんなふうに撫でていただくと女はとても気持ちがよいの。そう……ゆっくりとね。ああ、素敵……」
「やわらかい……」
つぶやいた銀に加奈が微笑む。
「じかに触れていただければ、もっとそうお思いになりましてよ……」
言いながら帯を解き、衣を肩からゆっくりと滑らせた。ふくよかな白い乳房にうっすら浮かぶ血管が男の血をあやしくざわめかせる。引き寄せられるように手を伸ばすと、彼は力を入れすぎないよう気をつけながら、すべすべとしたふくらみを揉んだ。しっとりとした肌が手に吸いつく。手のひらに硬くなった花蕾が触れ、彼はそれを指先でやわらかくつまんだ。加奈の吐息が甘くかすれる。
「いいわ……もっとして……口でも吸って……?」
「不思議ですね、どこに触れればあなたに歓んでいただけるのか、何となくわかる気がして……」
望みどおり熟れた頂を口に含んで吸い上げると、加奈が豊満な肢体をくねらせた。片方だけではさびしいだろうと、もう片方の蕾も銀が舌で転がしてやると、さらに嬌声が上がった。
この先に待つはずの快楽を予感して体が熱くなってくるのに、一面ひどく冷静でいられるのは、記憶にはないが自分が以前にもこういう経験をしているからなのだろうか。奇妙な感じがした。
「ああ、私にも銀様をお見せくださいませ……」
頬を上気させながら加奈が銀の衣を脱がせた。一見細身に見えても鍛えられた体は男らしい。いつくしむように胸を撫で下し、唇でその後を追いながら下袴に手を伸ばせば、すでにそこは男としての意志を主張している。現れたものに加奈は感嘆の吐息をもらした。両手の指で愛しげにさすりあげ、かがみこんで唇を寄せる。銀が息を呑んだ。
「……っ、そのようなことは」
「お止めにならないで。私の好きなようにさせてくださいませ」
含まれて銀は低くうめいた。加奈はいったん奥まで咥えこんでから唇を引き、唾液に塗れたそれを口をすぼめて吸い立てる。時おり唇から離しては指でしごいたり、舌先で舐め回したりした。ちゅぶちゅぶと音を立て、夢中になって口淫を施している女の髪を撫でると加奈が上目遣いに銀を見上げた。昂ぶった男のものをいっぱいに含んで、紅く濡れた口元が卑猥だった。
「愛しい……愛しい銀様」
うっとりと加奈がつぶやく。張り詰めた先端を細い指で撫で回しながら尋ねた。
「このあとどうするのかは、覚えておいでかしら?」
「ええ。このように……でしょう?」
手を延ばし、熱を持った秘肉に指をつぷりと差し入れる。
「はぁんっ」
とたんに高い声がほとばしる。すでにぬるぬると蜜に濡れそぼったそこは抵抗なく奥まで指を飲み込み、彼は探るように内部で指を動かした。加奈の喘ぎがいっそう切迫したものになる。
「あぁ……!」
「あなたのここは熱くて……指が溶けてしまいそうですね……」
ぬめりを帯びた淫卑な音と共に、指を大きく出し入れしながら言う口調はにまだ平静さがある。加奈は銀の猛りを握り締め、熱に浮かされたように口走った。
「銀様、私、もう、もう……。ああ、指ではなく、あなた様をくださいませ……これを私のそこに入れて、思い切り突いてくださいませ……!」
「……はい」
彼を待ちわびて悶える白い腿の間に身を沈めながら、銀はひととき他のことを忘れ去っていく自分を感じていた。
「昨夜はありがとうございました」
翌朝泰衡のところに出仕し、いつもと変わらぬ様子で頭を下げる銀を泰衡は興味深げに見やった。
「……役立たず、というわけではなかったようだな」
「は」
房事について口にしているとは思えないほどの淡々とした口ぶりである。その時は泰衡はそれ以上を問わなかったし、銀も口にしなかった。
午後、泰衡の元に加奈からの書状が届いた。泰衡に直接届けるように言ってあったので銀は知らない。流麗な筆跡で、ずいぶんとあからさまな内容を加奈は綴ってきた。
『昨夜は私、ずいぶんと乱されてしまいました。あんなにやさしげなお顔でいらっしゃいますのに、あの方はこうした閨ごとにたいそう手馴れておいでのご様子。でも女に接したのもずいぶんと久しいものとお見受けします。何度も責められて私、体がくたくた……。ですから泰衡様にお文を差し上げますのもこうして遅くなってしまったのです、お許しあそばして。でも泰衡様の今回のお申し付けをとても感謝しておりますの。もし叶いますなら、あの方とまたひとときを過ごしたいもの……』
縷々連ねられた文面からは、加奈の女としての満足が感じられる。
(ほう……。よほどよかったものと見える)
銀は泰衡の与えた馳走を存分に堪能しただけでなく、相手をも楽しませたらしい。加奈をそこまで歓ばせるとはたいしたものだ。武芸の腕や教養の深さなど、銀の思いがけない一面を見るのにも慣れてきたつもりだったが、僕には主の知らない顔がまだまだあるようだ。
(ならば、それをさらに剥き出しにしてやるとしようか)
泰衡はかすかに笑った。